がん治療の新たな希望

X(旧Twitter)を見ていたら、少し前ですが、こんなポストがありました。
科学のニュースで久々に心が震えた。
— AKAGAMI 🔜e/acc (@akagamiv2) February 8, 2025
ガンの転移を防ぐ物質「Adhibin(アドヒビン)」が発見されたという。
これは、ガン細胞が他の場所へ旅立つのを文字通り“麻痺”させる働きをするらしい。
従来の抗がん剤のように健康な細胞まで傷つけることなく、転移だけを止める夢のようなアプローチだ。… https://t.co/TczWSB8pKj
元になった記事(論文)はこちらのようです。
私のようにすでに転移してしまっているがんにも有効なのかどうか分かりませんが、それでも、ステージ4であっても新たな転移を防げる医療技術に発展する可能性もあるのかもしれません。
いずれにしても、この10年〜20年のがんの治療に関する進歩はとても目まぐるしいものがあると感じます。前にも書きましたが、私が現在使用している治療薬も、まだ保険適用になって5年も経たない新しいものです。それが標準治療で使われています。
それだけに、まだ副作用などについて十分に解明されていないところがあるようにも思いますが、いずれにしてもがん治療の進歩は患者にとっては新たな希望に繋がるものです。
今はまだ手が打てないことであっても、何とかしばらく持ちこたえれば新しい治療技術によって手が打てるようになるかもしれない。そう思うことは治療を続ける希望になりますし、気持ちが明るくなります。
すでに、早期発見されたがん患者であれば、5年後の生存率も半数以上となっており、今後こうした新しいがん治療の方法が普及することによって、さらにそれが伸びていくことが期待できるのだと思います。
もちろん、がんであることが分かることはとても大きなショックであり、おそらくがん患者の誰もが自分の死を強く意識しているはずです。私もそうです。 ただ、こうした最新の医療技術の進歩を見ると、ステージが進んだがんでも諦めてしまうにはまだ早く、希望を持ちながら治療続けていくこと、「時間稼ぎ」をすることがとても大切なのだと感じさせられます。
私自身も、使っていた治療薬が思うように効かなかったり、副作用で中止したりなど、一筋縄ではいかないな、という状況があったりもしますが、頑張って持ちこたえているうちに、何らかの新たな治療法が見つかることを期待しながら日々を送っています。
長くなった睡眠時間

がんであることが分かってから、私の睡眠時間はそれまでの1.5倍から2倍程度に増えました。調べてみると、がんにかかると睡眠時間が長くなる傾向がある人も出てくるようで、体のエネルギー消費が増えることが一因のようです。食べる量は減っていない一方、運動量は減っているはずなのに、体重が落ちてしまったりしてもいます。
以前の睡眠時間が短すぎたということもあるのかもしれませんが、かつて、特に若い頃は一晩に3~4時間程度しか眠らないことも普通にありました。しかし、今は、短くても7時間程度、出来れば8時間から10時間程度は寝たいなという感じになっています。そのため、午前中は少しゆっくりめに起きて、昼頃から活動を始め、夜の8時頃まで仕事をするというのが、現在の一般的な1日の過ごし方になっています。朝早くから動いていると、夕方には消耗してしまう、という感覚があったりします。
自分の睡眠状況を客観的に把握するために、昨年買い直したランニングウォッチについている睡眠記録機能、いわゆるスリープトラッカーのデータを毎日確認しています。
この睡眠データはガーミン社独自の基準で点数化されており、点数が高ければ良い眠り、低ければあまり良くない眠りであることが示されます。必ずしも長く寝れば良いというものではなく、昨年の夏ごろから秋にかけて、夜中に約2時間おきにトイレに行っていた頃は、寝ている時間は長くても、なかなかこの睡眠スコアが上がりませんでした。現在は、1晩に1回か多くて2回しかトイレに行かずに過ごせているため、それなりに高い睡眠スコアが得られることがあります。それでも、よく眠れたつもりでも、睡眠中のストレスが多くなると睡眠スコアが高まらないこともあります。
このウォッチによると、私に対する標準の推奨睡眠時間は7時間40分とのこと。その日の睡眠状況や様々な要因により、標準時間よりも長く眠ることが推奨される場合もあれば、短くても良いという結果が出る場合もあります。
スリープトラッカーのデータによれば、ここ数か月で睡眠の質はかなり改善してきているようです。昨年の夏頃には本当に短い時間しか得られなかったノンレム睡眠が、最近は一定以上の時間確保できるようになり、それにつれて全体の睡眠スコアも上がっています。
ただ、ガーミン社独自の指標であるボディバッテリーの数値は、なかなか思うように上がらないことがあります。これは、睡眠だけでなく昼間の過ごし方も影響しているため、睡眠だけで改善しようとしても十分ではないと感じています。
このウォッチのデータを活用して、自分の睡眠や体のコンディションを整える方法については、この半年ほど毎日データを見ながら試行錯誤してきましたが、その詳細についてはまた別途書こうと思っています。
どれほど正確で根拠のあるデータなのかは分かりませんが、やはり睡眠スコアが高かった夜はよく眠れた気がしますし、そうでない時は睡眠の質が低かったのかもしれないと感じることがあります。
いずれにしても、こうした何らかの手掛かりとなるデータがあることで、自分の体のコンディションや睡眠の質の改善を図れることは、とても有益であると考えています。
高額療養費制度をめぐるニュースを見て思うこと

最近、高額療養費制度の見直しがニュースで話題になっています。これは、増え続ける高齢者にかかる医療費がどんどん増大していることを踏まえ、それをどのように抑制しようかという方策の一つとして提案されているものだと理解しています。
働き手世代が減少し健康保険料や税金を納める人も減っている一方で、高齢者は増加しているため、こうした医療費に対する国側の負担は今後も重くなっていくことは間違いありません。制度の破綻を避けるためにも、何とかして医療費の削減を図らなければならないという国の事情も理解できる状況です。
一方で、私自身も高額療養費制度のお世話になっています。私の場合、毎月の前半には自己負担分を支払う必要がありますが、月の後半になるとこの高額療養費制度が適用されるため、病院への支払いがゼロになります。これは、マイナンバーカードを保険証として使用しているおかげで、立替えで支払った分を後から取り戻すという手間が省けるためです。たとえ立替えであっても、高額な医療費を一時的にでも支払わなくて済むだけ、大変助かっています。マイナンバー保険証に関して不満を述べる方もいらっしゃいますが、私のようなケースでは、非常にありがたいと感じます。高額療養費制度とマイナ保険証がなければ、病気や治療の心配にくわえてお金の心配もしなければなりませんから、そうなるともっと精神的な負担は重くなります。まさに「経済毒性」の話ですね。
話を戻すと、高額療養費制度によって、私の医療費がどの程度健康保険制度で肩代わりされているのかを考えた場合、私自身はまだ働いており70歳以下であるため、自己負担は3割。そこからさらに、高額療養費制度によって自己負担分が軽減される仕組みになっています。
大雑把な計算になりますが、私が1回の通院で支払っている自己負担額は約5万円です。通院は月に3〜4回。話を分かりやすくするために、月額18万円が自己負担分であるとすると、全額に換算すると月に60万円かかっていることになります。1年にすると720万円。仮にこの金額が10年間かかり続けたとすると全体で7,200万円になりますが、実際には高額療養費制度のおかげで、このうち自己負担になっているのは約1割程度でしょう。そうすると、国は10年間で約6,500万円を負担することになるのです。
10年間で6,500万円の価値を社会に対して還元していけるのかどうか、という点については、以前「緩やかな自殺という選択肢」にも書いたとおり、国が負担する、つまり社会全体で負担してもらう費用と、私が生み出す価値とのバランスが取れているのだろうかと、いつも考えます。
これまでは、私はほとんど健康保険のお世話にならずに過ごしてきたため、若い時に十分に支える側に回っていたという面もあります。しかし、この先、高齢者が増加していく中で、私がこれだけのお金を社会に負担してもらうことには、その価値があるのかと考えずにはいられません。
あまりそんなことを考えている方は多くないかもしれませんが、結局のところお金の問題ですので、最近で言うところの「コスパ」が良いかどうかという視点は、やはり避けられないものがあります。社会に負担してもらった分の価値を返せるかどうかはともかく、私が治療を続けながら元気でいられるうちに、いかにして社会に対して可能な限りの還元ができるのかということを、最近は常に考えています。
デジタルのモノをどう整理するか

以前、メルカリで物を整理する話も書きましたが、自分のこの先の余命がはっきりしないこともあって、なるべく持ち物を増やしたくないという気持ちがあります。
そして、これはモノだけでなく、様々な自分が持っている、いわゆるデジタルデータについても同じです。
今日も、ある本を買うにあたって、紙の本で買うのがいいのか、電子書籍で買うのがいいのか、ちょっと悩んでいます。文庫本や新書であれば、割り切って電子書籍で買うことにためらいがなくなりました。もし紙の本が欲しくなったら買い直せばいい―そのぐらい値段的にも安いからです。一方、単行本の場合はそれなりに値段がすることもありますし、場合によっては電子書籍化されていないケースもまだまだあります。こうした時、どうしようかなと本当に悩んでしまいます。余命の問題を抜きにしても、入院するなどで、いつ紙の本を気軽に手に取れる状況でなくなるかもわからない、という不安もあります。
電子書籍なら、電子書籍リーダーさえ持っていれば、病室はもちろん、普段の生活の中や出張中でも読むことができます。しかし、紙の本となると、1冊や2冊ならまだしも、たくさんの本を持ち歩くことはできません。また、上に書いたこととは逆説的ですが、新書や文庫本なら軽くて小さいのですが、単行本となるとふつうは重くて大きいため、なおさらたくさん持っていくわけにはいかないという問題もあります。一方、電子書籍には、誰かに譲ることが難しいという難点もあり、これも悩ましい点です。
それと気になっているのは、自分のもつデジタルデータや、このブログも含めSNSなどの自分のアカウントをどうするかという点です。オンラインに溜め込んである写真や資料も同様です。こうしたものをいったいどう管理し、また自分が死んだ後にそれらがどのように扱われるのか、考えておかなければならないと思いつつも、なかなか難しいところがあります。
こうしたアカウントなども含めて、ここでは一括りに「デジタルデータ」と呼びますが、デジタルデータは大きく分けると3つの種類があると考えています。
【1】自分が亡くなる前後に関係なく、家族・遺族に見てもらって差し支えないもの。
【2】自分がなくなるとともに、遺族に見られたくないもの。
【3】自分が生きている間は見られたくないけれども、亡くなった後に遺族に見てほしいもの。
これらが混在しているため、管理の難しさが増してしまうのです。
【1】については、たとえば、自分が他の人にも見える形で公開しているSNSのアカウントなどが該当します。もともと他人にも見られるようにしているため、これは自分が亡くなった後も、遺族が見ても差し支えのないものです。SNSのアカウントを閉じる余裕もないままに死んでしまった場合、 そこに訃報的なことを遺族が書いてくれるのが一番良いのかもしれません 。その意味では、アカウントのパスワードなどは【3】の、亡くなった後に見てほしいものになるかもしれない。普段から自分のアカウントに自由に家族がログインできるというのは、あまり気持ちの良いものではないからです。
【2】については、たとえば、仕事上の守秘義務契約に基づくデータや、個人的な書き残し・メモなどが該当します。家族とはいえ、各々が個人であるため、相手に見られたくない、知られたくない情報があるのは自然です。とはいえ、自分が生きている間はそれを残しておきたいものもあり、仕事関連であれば、むしろ保存しておかなければならないものでもあります。この【2】のカテゴリーが一番悩ましい部分になるのかもしれません。
【3】については、たとえば、自分が亡くなった後に残す遺言的なものや、前述のSNSのアカウントのパスワードなどが該当します。もちろん、正式な遺言として残すためには、ただデジタル上に置いておくだけではなく、遺言書として認められる形にしなければ有効性が立証しにくくなりますので、この【3】には該当しません。しかし、遺言書には細かいことをたくさん書くものではないため、細々とした情報はやはり遺言書とは別に残しておかなければならないと、遺言書を作ってみて改めて感じています。ただし、それも、自分が生きているうちから家族に見せる状態にしておきたいとは限らず、難しい問題です。SNSのパスワードも同様ですが、たとえば、銀行口座などの情報も【3】に当たるかもしれません。
こうした問題に対応するためのデジタル遺品の整理サービスも登場しており、これから多くの人が亡くなる現実がある日本では、こうしたサービスは増えていくのではないでしょうか。
いずれにしても、自分が元気なうちに、これらの問題についてどうするかを考え、そして実際に行動しておくことが大切だと思っています。
がんの10年後生存率の統計が発表されていました

がんの10年生存率のデータが報道されていました。これは国立がん研究センターの発表によるもので、信頼できるデータだと考えてよいのでしょう。
この表の「病期1」は「ステージ1」のことだと思われますが、ステージ1に近いほど生存率は高まり、がんの部位によっては90%以上の人が10年後も生存しているということがわかります。こうなれば、もはや早期発見できていれば、がんは付き合っていく病気であって、死に至る病ではないと言ってよいのかもしれません。一方で、がんの種類によっては生存率がとても低いものがあるということも読み取れます。
私がかかっている膀胱がんを見ると、その意味では生存率がとても高いわけではありませんが、一方で、いくつかのがんに比べれば、ステージ4でもそれほど低くはないということかもしれません。膀胱がんのステージ4での10年後生存率は約15%ということです。他の資料で5年後生存率が18%という数字を見たことがありますから、単純に比較できないデータかもしれませんが、5年後も生きていれば10年生きていられる確率もかなり高まる、ということになるのでしょうか。
そして、診断から1~2年後に生存していた場合、5年生存率が上がるという傾向も示されているということで、これは、がんが見つかってからの初期治療がとても重要だということになるように思います。
そのためには、良い医師や病院と巡り合うこともとても大切ですが、もう一つ、私たち自身が、普段からがんについて一定の知識を持っておくこと、がんにかかった場合にどうすべきかということを頭の片隅に置いておくことが大事なのではないでしょうか。そうすれば、自分ががんであることが分かった時に慌てずに、どのような対処・治療をすればよいかを医師と話し合うことができ、時間を無駄にせずに済むのではないかと思いました。
私も、膀胱がんと診断されてからちょうど丸1年ほどが経ちましたが、途中、治療薬があわないといった紆余曲折はあったものの、今の体の状態は思っていたよりも安定していて、ありがたいことだと思っています。自分が信頼できると感じた医師・病院と巡り会えて、治療方針に迷いがなかったことが幸いしている、ということかもしれないですね。
もう一つ、このデータは2012年にがんと診断された人の統計です。つまり、13年前にがんと診断され、そこから治療を受けた人たちのデータということになります。考えてみると、今私が使っている薬が標準治療として保険適用になったのが2021年ということですから、まだ3年余り、もちろんこの統計データには全く反映されていないと言えるでしょう。この10年ほどのがん治療、特に治療薬による進化は目覚ましいものがあるということで、こうした最新の治療薬の効果が反映されたデータが出るためには、まだこの先10年が必要になるということでしょう。その時まで私が生きていられるのかどうか、2012年にがんと診断された人のデータでいうなら、私が10年後まで生きている確率は15%程度ということになりますが、新たな治療薬の登場によってどれだけこの生存率が上がっていくのだろうかと思うと、ちょっと楽しみな気もします。
ご自身のがんの種類や体調によって、この報道は希望を持てる人もいれば、持てない人もいるのかもしれませんが、あくまで統計的なデータです。あまりこうした数字に振り回されずに日々を送っていきたいものだと思います。統計はともかく、自分は自分でしかありませんから、自分がどのようになるかは誰にもわからない。だからこそ、毎日を丁寧に生きていく必要があるのではないかな、と私は思っています。
膀胱がんは、膀胱全摘の方がQOLが高いのか
森永さんのがんの闘病に関して、週刊誌「フライデー」に、記事が掲載されていました。
一般向けの記事であり、さらにコメントしているのはたった一人の医師であることから、これが本当に医学界(この記事では「医療界」と表現されていて、違う意味で使われているのか、意図的にそうしたのかどうかも不明ですが)のコンセンサスと受け止めてよいのかどうかは、よくわかりません。
一方で、残された時間をいかに使うかという点において、森永さんの選択には(細かい治療法の選択の部分は脇に置くとして)方針として大いに参考になるところがあると思います。この点については、過去にも触れました。特に、QOL(Quality of Life)を重視するという観点では、がん患者が単に長く生きればよい、安静にしていればよいというわけではなく、残りの人生をいかに充実して送るか、そのQOLをいかに高めるかという視点がクローズアップされており、とても良いことではないかと思います。私も前回の記事で、治療の目的について書いたところでした。
自分の場合でも、結果的にはステージ4という診断を受けたため、今でも自分の膀胱がそのまま温存されているわけですが、もしこれが初期の膀胱がんと診断された場合、膀胱の全摘(すべて取ってしまうこと)になる見込みでした。実際に、私の主治医からもそのように言われました。しかし、膀胱の全摘をすると、その時点で身体障害者となり、失われた膀胱の機能を補うために、腹部に開けた穴から尿をビニール袋のような容器に逃がすか、あるいは腸の一部を切り取って膀胱の代わりに尿を貯める場所を作るか、どちらかの選択になるようです。仮に、腸を用いて膀胱の代わりのものを作ったとしても、尿意が感じられるようにはならないため、この場合、尿意の有無にかかわらず、2~3時間おきに定期的にトイレに行かないと漏れてしまうという問題があるそうです。
そのような状況で、仮にがんの問題は解消されたとしても、不便を強いられながら残りの人生を過ごすのがよいのか、それとも膀胱を温存する形で過ごすほうがQOLが高いのかは、とても悩ましい選択です。特に、膀胱を全摘した後で、がんが他の部位に転移していることが見つかった場合、膀胱はすでに存在しないうえに、がんの治療は続けなければならなくなる可能性もあります。まだ若い場合は別ですが、一定以上の年齢となった場合に、膀胱の全摘を行うほうがQOLが高いのかどうかは、とても難しい判断だと自分自身も思います。若いとしても、一生、トイレの問題を抱えながら生きていく不便さを考えると、やはり難しいところかもしれません。排泄の問題は、毎日の、日に何度かのことですから。
ただ、こうした判断を下すためには、病気や治療に対する正しい理解が必要であり、主治医とも十分に相談する必要があります。私自身、結果的に初回の診断で膀胱全摘と言われたものの、その後のCT検査で転移が見つかったためその選択肢がなくなりましたが、もし転移がなかったのであれば、おそらく膀胱全摘という選択をしていたのだと思います。今となって考えると、仮に自分がその選択をした(正確には、主治医のすすめに従った)のだとしたら、その後に後悔している可能性もゼロではないかもしれないと、今では思っています。
もちろん、膀胱全摘によりその後、がんの再発もなく、一般的な人の寿命と同じ長さまで生きられるのであれば、それもまた一つの選択肢でしょう。これは本当に難しい判断だと感じます。
いずれにしても、がんが治ればQOLの低下を受け入れるという選択肢もあれば、がんとほどほどに付き合いながらQOLを高めていくという選択肢もあるということを示している点に、森永さんの闘病記録の価値があります。私たちとしては、下記のエントリーにも書きましたが、大事なところを上手く抜き出して活かしたいところです。


